叫び

小説

「叫び」を読み終えた。
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第174回芥川賞受賞作。どうしても読みたい。
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だいたいの人間が切羽詰まってここに来る。そうでなければ、こんな鐘の音に呼ばれることもないし、呼ばれたところで穴の中までは降りてこない。けれども今どきのものは、昔と違って悪党すらひとを騙せば堪えきれなくなるくせに、小人すら自分のことはどこまでも騙し抜く。女が男にするように騙しとおして平気でいる。本人に自覚のない分だけ、余計にたちが悪い。
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それでもワイズミュラー自身はいつも正しい道を歩いてきたし、歩いている。間違うのはワイズミュラーの足跡を追う我々の方であって、ワイズミュラーではない。歴史の中でワイズミュラーはいつも完全にワイズミュラーを演じ切る。一方で演じることが作品に留まらなくなったとき、世界が舞台になったとき、人は狂う。本人だけがそのことを知らない。演じていることを、もう忘れている。受肉というよりは、忘却であり恍惚である。だからワイズミュラーは己を完全に演じ切った歩で、いつでも正しい道から逸れていく。踏み外した歩が踏み外したまま正しい道になる。歴史になる。
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では目的はなんであるかというと、ひとまずは聖(ひじり)になることである。聖とは到達点であって、そこからは歩んでいく一歩一歩が正しさで光り輝いていく。聖とは歩みのことであると同時に、その際にからだ一つぶんが占める場所のことである。だから聖になれば己の来歴と土地の来歴の軽量がなくなる。ということは己の来歴と土地の来歴の軽量をなくしていけば聖に近づいていく。
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「ふるさとを選べるっちゅうところに、まず傲りがあるわな」
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境を定め、区切りを設けること、それ自体は国家の習いであり、宿痾であり、定義であるのでそれをやめれば国家は国家でなくなってしまう。けれども国家は同時に己が国家でなくなることも夢見もする。自らの内に解放区を生み出し、祝祭を執り行い、束の間の楽土を創造しようとする。自分の設けた舞台で己の来歴を切り離し、あるいは完結し、新たな自己を演じようとする。そうして、舞台から降りたとき、彼は新たな来歴を手に入れている。生まれ変わっている。そのようにして脱皮を繰り返し、観衆の入れ替わりと忘却に助けられながら、どこまでも自己を永らえさせていく。
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「こん中だけでも平和っちゅうのが、なんかええわ」
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以上引用です
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大東亜戦争から令和の万博へ紐づく世界観。
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前半に登場人物がどーっと出てくるんだけれど、後半はほぼ2人で進む。回収しないんかいっ!(笑)この展開もおそらく意図的だろう。
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音蔵と川又青年の輪廻転生が先生と早野の関係だとすると、その博覧会と洞窟がタイムマシンの役割を果たしている。
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そして人と人を結びつける糊の役割を果たしているのが銅鐸で、宗教で言うところの経典でありスートラだ。
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銅鐸の基礎知識
野洲川下流域にある大岩山から24個の銅鐸が発見されています。このほか近江から10数個の銅鐸が見つかっており、この地から日本最大の銅鐸と最小の銅鐸が出土して。近江の銅鐸は他の遺跡で見つかった銅鐸と比べると非常に変わった不思議な銅鐸です。このバラエティーに富んだ銅鐸から弥生時代の歴史の変革を読み解くことが出来ます。

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あくまでも推測だけれど、先生の言質をみると著者は茶化しながらも天皇制を快く思っていない。
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伝えたかったのは、人間の愚かさ、醜さだけでなく天皇の戦争責任が本質のような気がした。
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「人間宣言」は叫びではないだろう。

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畠山 丑雄

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