アルジャーノンに花束を〔新版〕を読み終えた。
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学生時代から、いつか読んでみたいなーと思っていた本。新版には、序文に著者からのメッセージと巻末に訳者あとがきが掲載されている。
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この報告を見てぼくの考えのうごきがどうしてわかるのかぼくにはわからない。何度も何度も報告を読んでかいてあることをみたけれどもぼくの心がどううごいているかわからないのにどうしてみんなにはわかるのだろう。
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神さまが少ししかおあたえにならなかったにしてはあなたという人は使いもしない頭をもった人たちよりもずっとたくさんのことをやったと彼女はいった。ぼくの友だちはみんな頭がいいしみんないい人ですよとぼくはいった。みんなぼくのことが好きでいじわるなんかしたことないですよ。
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みんながぼくを笑っていたことがわかってよかったと思う。このことをよく考えてみた。それはぼくがとてもばかで自分がばかなことをしているのもわからないからだろう。ひとはばかな人間がみんなと同じようにできないとおかしいとおもうのだろう。
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大学へ行き教育を受けることの重要な理由のひとつは、いままでずっと信じこんでいたことが真実ではないことや、何事も外見ではわからないということを学ぶためだということをぼくは理解した。
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教育学の婉曲語法を借りれば、私は「特別」なのである --- この「特別」という用語は「授けられたものと奪われたもの」という忌まわしいレッテルを避けるために用いられる民主的用語であって、「特別」が特定の人間に特定の意味をもつようになれば、彼らはまたその言い方を変えるだろう。つまりこういう考えらしい。それが特定の人間に特定の意味を持たない限りはその表現を用いるべし。「特別」とはスペクトルの両端を言うのであり、したがって私は生涯を通じて特別であったというわけだ。
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私を嘲笑することができるかぎり、私をさかなにして優越感にひたっていられる。しかし今では白痴に劣等感を感じさせられている。私のめざましい知的成長が彼らを萎縮させ、彼らの無能さをきわだたせているのだということが私にも分かりはじめた。私は彼らを裏切ったのであり、彼らはそのために私を憎んでいるのである。
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彼は言語がときとして心を通わせる道ではなく障壁であることを気付かせてくれる。知能というフェンスのあちら側にいる自分を発見するとは皮肉である。
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まともな感情や分別をもっている人々が、生まれつき手足や眼の不自由な連中をからかったりはしない人々が、生まれつき知能の低い人間を平気で虐待するのはまことに奇妙である。
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「正常な子供はすぐに成長してしまって、わたしたちを必要としなくなります・・・自力でやるようになって・・・彼らを愛していた人間、世話をしてくれた人間のことなんか忘れてしまいます。でもこの子たちは、私たちが与えることのできるものをすべて必要としているんですよ・・・一生涯ね」
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キニアン先生にぼくのことをかわいそーとおもわれたくない。ぱんやのひとたちもみんなぼくのことをかわいそーとおもているのですがぼくわそれもいやなのでそれでぼくみたいなひとが大ぜいいるとこでチャーリィ・ゴードンがむかし天さいでいまわ本を読むこともできなくて字もうまくかけなくたってだれもかまわないところへ行こうとおもいます。
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以上引用です
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最初にこのタイトルを知ったのは、学生のときに氷室京介さんのアルバム「アルジャーノンに花束を」を聞いてだった。
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友人が「小説も面白いよー」と薦めてくれたのを覚えている。当時は読書が好きではなかったので、そんな助言も普通にスルーしていたのだ。
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あとがきによると初版が刊行されたのは1960年だ。
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半世紀以上前の名作を、全く予備知識ゼロで読めるのも恵まれているのかもしれない。ある意味才能かなと(笑)
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物語はもうずっと悲しかった。
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こんな内容だったんだ・・最後はおそらくそうなるんだろうなと。
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たとえチャーリイのようにスペクトルの両端を経験できなくても、人間である以上苛まれるんじゃないだろうか。
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どれだけ速く迷路を抜け出しても、次の迷路が待っている。
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そしてどれだけ恵まれているように見えても、どれだけ不幸そうに見えても本当のところは分からない。幾ばくかの能力の程度の差はあれ、俗人で煩悩の塊である限り悩みは尽きない。
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おしなべて、人生とはそんなものなのかもしれないね。
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もうひとつ印象的だったのは、高台からの風景にチャーリィが苦しむのと同様に、周囲の人間もまた苦しむんだよね。
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つまるところ、能力が低く、恵まれていなく、どこか見下せているうちは気持ちよく過ごせている。しかしながら、そんな輩が自分より成功する様は受け入れられないと。
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この本「統合失調症の一族」から
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(ガラスの学士の)主人公は村の愚か者で、彼がまくしたてる不快な真実を馬鹿げた妄想として笑い飛ばせる間は周りの人に親切に扱われていた。だが、彼が正気を取り戻すと、村人たちは彼が立ち直るのを妨げる。彼の言う事をすべて急に真剣に受け止めなくてはならない羽目に陥らずに済ませるためだ。
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人間ってほんと面倒くさいよな。
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あとね翻訳が素晴らしい!すごい!
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チャーリイの知能に比例して文章が少しずつ洗練されていくんだよね。おそらく英文でたどたどしさを表現するには文法の間違いやスペルミスくらいじゃないかな。
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しかしながら、日本語には漢字、カタカナ、ひらがながある。
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日本語は確かに複雑で覚えることがたくさんあり難しいけれども、だからこそ文体に広がりが出て、アルファベットには真似できない奥ゆかしさというか深みが出てくるんだろう。
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それらを理解できるのは日本人の特権、強みだと思う。
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加えて音声では表せない魅力でもある。
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最後に一番刺さった件を2つ
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人々が私を笑いものにしていたことを知ったのはつい最近のことだ。それなのに、知らぬ間に私は自分自身を笑っている連中の仲間に加わっていた。そのことが何よりも私を傷つけた。
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「知能は人間に与えられた最高の資質ですよ。しかし知識を求める心が、愛情を求める心を排除してしまうことがあまりにも多いんです・・・これをひとつの仮設として示しましょう。すなわち、愛情を与えたり受け入れたりする能力が無ければ知能というものは精神的道徳的な崩壊をもたらし、神経症ないしは精神病すら引き起こすものである。つまりですねえ、自己中心的な目的でそれ自体に吸収されて、それ自体に関与するだけの心、人間関係の排除へと向かう心というものは、暴力と苦痛にしか繋がらないということ」チャーリイ・ゴードン
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チャーリイはもう一度手術してもらえないんだろうか(笑)
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そしてもう一つだけ
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「誰でも友人の悩みには共感を寄せることができる。しかし、友人の成功に共感を寄せるには優れた資質が必要だ」オスカー・ワイルド
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結果数十年越しになってしまったけれど、読めてよかったです。
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