「黄色い家」を読み終えた。
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著者は川上未映子さんで、帯にあった「ノンストップ・ノワール小説」に惹かれて購入(笑)この方の小説は初めてだった。
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わたしは、自分とおなじくらいの年の子たち、それもいくつかのグループや仲間たちが居合わせることで生まれてくる、だるさと警戒感と活きのよさがないまぜになって、全体としては挑戦的な感じでぴりぴりしているこの雰囲気がすごく苦手だった。
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「あんたら悪いこと言わないから、今のうちにしっかり金は貯めとくんだよ。それか金持ちつかまえて楽するか・・・いや、金もってる男にろくなのいねえな。自分の金、貯めて貯めて、こぼれたのをちょっとすすって生きていくくらいでちょうどいいよ。なんの保証も約束もない生き方だもの。仲間がいたって友達がいたって金がなければ共倒れ、貧すりゃ鈍する、みんな死んじまって、生きてるやつはみんな最期は独りになるよ。貯めたってあの世に金はもっていけないなんてぬかすやつがいるけれど、もっていく必要がどこにある。余ったら置いていけばいいだろう。人間は年をとって死ぬけど、金は年をとらないし、死なないからね」
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おっさんはみんなシンジに乗っかって未だに「自分探し」とかやってるけど、大事なのは「自分なくし」でしょ。その意味で僕は完全に綾波、女の子側なんだよね。
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この会ったこともない人たちが、口々に祖母や祖父に世話になったと涙を流して話すのを聞きながら、なぜ生きているときにそれを言わなかったのだろうと不思議に思った。
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金のあるやつと一緒になったからといってその金が自分のものになるわけではないし、広い家に住んでいるやつと一緒に暮らしたからといってそれが自分の家になるわけではない。家でも金でもなんでもいいけど、仮にその誰かのものを自分のもののように遣えるような状況になったとしても、それはあくまで遣わせてもらっているだけのことなのだ。
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しっかりものを考えられない、適当でばかでどうしようもない母親だけれど、でも母親は騙されるばかりで人を騙す人ではないということも、わたしが絶えず感じている苦しさの一因だった。そしてそれは別の憎しみにつながっていった。それは母親みたいな頭の回らない人間をカモにして、なけなしの金を巻き上げる何かに、誰かに対する憎しみだった。
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それがいいことなのかそうでないのかも、よく分からなかった。それでも今わたしの胸のなかにある重いものが、今ここにいる人たちの頭数で割られてどんどん小さく軽くなっていくところを想像して、わたしはなんとか前に進んでいった。
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「幸せな人間っていうのは、たしかにいるんだよ。でもそれは金があるから、仕事があるから幸せなんじゃないよ。あいつらは、考えないから幸せなんだよ。知恵絞って体使って自分でつかんだ金を持つとね、最初から何の苦労もなしに金を持ってるやつの醜さがよく分かる。頑張んなよ」
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自分の頭と体を使って稼いだやつらは、ちゃんと金に執着があるからね。貧乏人と同じように金についてちゃんと考えたことのある人間だよ。でも、家の金、親の金、先祖代々のでかい金に守られているようやつ、そいつらがその金を持ってることには何の理由もない。そいつらの努力なんかいっさいない。あんたはガキの頃から金に苦労したんでしょ?あんたが貧乏だったこと、あんたに金がなかったことになにか理由がある?理由があったか?
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誰だってみんな金が必要で、だからこそ汗水たらして働いているのだと。でもわたしは半笑いで言ってやりたかった。わたしも汗水をたらしていますよと。誰の汗水がいい汗水で、誰の汗水が悪い汗水なのかを決めることのできるあなたはいったいどこでその汗水をかいているんですか?たぶんとても素敵な場所なんだろうね、よかったら今度行き方を教えてくださいよ、と。
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二千百六十五万九千円 --- それは金と思わなければただの紙の束であり、けれどもやっぱり金で、しかしそれはどうみても両手でつかもうと思えばつかめるくらいの大きさしかない。わたしたちは何を集めていたのか。誰かが望むものに速やかに形を変えるもの。自分や大事な人を守り、満たし、時間と可能性そのものになるもの。未来、安心、強さ、怖さ、ちから --- これまで金をつかみながら考えたいろいろなこと、こうしてひと塊になった金を見ながらいま頭にやってくる言葉のすべてが真実だという気もしたし、すべてが例外なく的外れであるようにも思えた。わからない。今わたしが見つめているこれは、いったいなんなのだ?
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しばらくして引き出しに入れておいた三万円がなくなっていることに気が付いた。傷ついたし寂しい気持ちあったけれど、でもそれ以上にほっとしている自分にも気が付いた。
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以上引用です
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冒頭の「ノワール」の意味が気になって調べてみた。
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フランス語で Noir(黒)という意味で、闇が深いことらしい。
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なるほど、悲しみの果てというか不幸の総合デパートというか、そんなノワールの名に恥じない暗黒小説だった。
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舞台は1990年代からミレニアムに差し掛かるくらいだろうか。
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オウム真理教から安室奈美恵さんまで、世紀の変り目に時代を駆け抜けた人物や時事問題、サブカルを織り交ぜながら物語は進んで行く。
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自分はその頃ちょうど20代だったので、とても懐かしい気持ちになった。
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あったよね、タマゴッチ(笑)
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この年代にシンクロする人は入りやすいんじゃないかな。
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主人公の伊藤花は、責任感があって思いやりのある子なんだよね。
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世の中は素晴らしく不平等で不条理なので、たまたま生まれ落ちたところが「上がり」の人もいれば、どうあがいてもどうにもならない人もいる。
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それはもう外野が何をどうアドバイスしようとも全てがエゴに聞こえてしまうくらいに。
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明日生きるのもままならない状態で、普通の教育を受けて、普通の感情を育んで、普通の会社に就職するのは難しい。
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そんな子が曲がりなりにも「一束」だけにしか手を付けず、20年後の他人に救いの手を差し伸べられるのは素の優しさだろう。
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もう一人印象的だったのは黄美子だった。
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つまらない言い方をすると共依存なんだろう。
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でもね、きっと本人は損得抜きで、みんなと楽しく過ごしたかっただけだと思うんだよね。「利用する、利用される」の向こう側を感じたな。
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スキマーから特殊詐欺、ランサムウェアと物理的な手口は進化しようとも、固定化された格差は簡単には覆えせない。
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つまるところ、似たような人間が集まって、似たような人生を再生産すると。
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ヨンス、黄美子、琴美らは、花たちを自らに重ね合わせ何を思うんだろう。
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最後にひとつ刺さったところを
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「それにしても見ため変わりすぎだろ。昔はもっとこう・・・普通の顔してただろ」
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思い出がいっぱいですね(笑)
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そしてこの本「絶対悲観主義」からもうひとつ
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「死んでしまいたいときには下を見ろ、俺がいる」村西とおる
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面白かったです。
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