「そして誰もゆとらなくなった」を読み終えた。
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本屋でぷらっと購入。
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私の思う「おもしろい」というのは、真剣味と背中合わせの滑稽さなのである。「おもしろいことをしよう」から生まれるものではない。ただ悲しいのは、年齢や経験を重ねると、素直さや真剣さを上回る危機察知能力が身に付いてしまうというところだ。
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感じるな、考えろ。
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私は余興でダンスをしているときに見られる、列席者が完全に飽きていく過程を眺めるのが好きだ。踊り始めた当初は「オッ」という空気になるのだが、準備不足のダンスなんて人の興味を惹きつけられたとして十数秒程度が限界だ。複数の人間の表情が分かりやすく色と光を亡くしていく様子はなかなか壮観である。その中で芽生える恥ずかしさと照れくささを飼い慣らしながら踊ることが、私は、不思議と嫌いではない。
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「健康診断などの結果で内臓脂肪の数値が気になる方も多いのではないでしょうか。そこでおすすめなのが・・」
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もともと、世の中的に「しておくべき」と言われていることをしていないと思い切り不安になるタイプなのだ。不安な状態で居続けるくらいなら、自分自身はそう思っていなくとも「しておくべき」を言われていることをしておくほうが安心するという、逆ホリエモンみたいな人間なのである。何か信念や目的があって行動するのではなく、「これをやった」「あれをやった」という事実による精神的安定を求めて「しておくべきこと」埋めていくのが私という人間の本質なのだ。
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「うん、みんな出来てますね!いい感じです!」
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人間は怖い。すぐ慣れる。同じことの繰り返しの毎日に風穴を開けるような気持ちで来た場所で退屈を見つけ出すなんて、人間は哀しい生き物だ。
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「私、サビ抜きでお願いします」
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これまた自らの意思とは関係なく行った別の店で、コースで出てくる料理ごとに最も適切なお酒が提供される「ペアリング」というシステムに放り込まれたことがある。私の場合「麦茶」で全問正解となるのだが、もちろんそうはいかず、テーブルにグラスをどんどん渋滞させてしまった。
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私は自分のことを、旅に対する感受性が低いためハワイとはいえ何処へ行っても予定より早く退散してしまう、というような書き方をした。だが、今思えばもっと適確な表現があった。それは、自分自身以外へ向く愛の少なさである。他者や旅先への関心とは、対象への愛にほかならない。即ち愛とは、私という体内に貯蔵されている愛の総量の少なさと向き合う作業でもあるのだ。
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以上引用です
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みなさんは、推しのプライベートを知りたいほうですか?
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好きな俳優、推しの雀士、よく読む作家、絶対に買う漫画家がいる。どんな人なんだろうなーと思いは巡らしてもプライベートは深堀しない。
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なぜなら自分が思い描く対象者のイメージと、現実の埋められないギャップを知るのが怖いから。
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そんなわけで、すでに第3弾となった著者のエッセイを読むのは初めて。
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結論から申し上げると、脳内の著者イメージは完全にひっくり返った(笑)
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もはや偶像崇拝もここまで、無念。
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「もものかんづめ」「さるのこしかけ」「たいのおかしら」に負けない、抱腹絶倒の370ページだった。
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どんな黒歴史もすべらない話に昇華させる直木賞作家のサービス精神よ。
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肛門科医と食事に行った店にドーナツクッション忘れるかね(笑)「空回り戦記」は展開が恐ろしすぎて、とてもとても次ページがめくれなかった。
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想像以上に、社交的でアクティブな方。人前でダンスなんて踊れんよ。
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最後に印象に残ったところを。
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私はやはりマチュピチュに行きたかったわけではなく、「マチュピチュに行った人」になりたかっただけなのだ。
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誰でも、人生の中で「いつか絶対行ってみたい」とか、「いつか絶対やってみたい」というようなスタンプラリー的な願望はあるだろう。そしてそのうちの幾つかはやがて「あれをやっておけばよかった」に変わり、いつしか「あのとき、あれさえしておけば」というような後悔として、心身の奥底に沈殿したりもする。過去の叶わなかった願いは時に、現在の自分を認められない理由になってしまう。ただ、たとえば今回のような肩透かしを経験するたび私は、人生をバラ色に塗り替えてくれるような何かを劇的に一変させてくれるような出来事というのはこの世に存在しないのだと感じ入る。「あのとき、あれさえしておけば」のあれもこれもそのとき叶えてみていればきっと、数多ある「こんなものかー」の列の最後尾に並ぶのだと思う。
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エッグスシングス行ってみたいな~
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小説とはまた違う文体で、人生を謳歌している姿に元気をもらいました。
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