「心はこうして創られる 「即興する脳」の心理学」を読み終えた。
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著者はニック・チェイター氏で、原題は「The Mind is flat 心は表面でしかない」だ。コメントで「面白いよー」と教えて頂いたのと、脳と心に興味があったので購入。
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心理療法、夢分析、語連想、行動実験、脳スキャン。何をどれほど試しても、人間の真の動機を取り出すことはできない。見つけるのが難しいからではなく、見つけるべきものが何もないからだ。心の深みを探るのが難しいのは、あまりにも深くあまりにも不透明だからではない。探るべき深みがそこにはない。
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脳は即興家であり、現在の即興を以前の即興に基づいて作っている。知識や信念や動機からなる隠された内的世界ではなく、それまでの各瞬間の思考や経験の「記憶の痕跡」を利用することで、新たな瞬間の思考や経験を創り出しているのだ。
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どんな領域のいかに非凡な専門能力であれ、その基礎になっているのは計算力に秀でた頭脳ではなく、経験の豊かさと深さなのだ。
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私たちは、ある色のついた領域と、別の色のついた領域を、行ったりきたり切り替えるほかないのだけれども、それも素早く苦もなく行っているせいで、自分が二つ(かそれ以上)の色を同時に掴んでいるという幻想を抱いているのである。
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感情というのは内側から自とほとばしり出てくるのではなく、事前には全く存在していない。そのとき置かれた状況に照らして、そのときの身体状態のフィードバックについて脳が作りだした、その瞬間の採用の解釈なのだ。
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[選択盲] 実際には自分が選ばなかったことでも弁護してしまうこと。
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いわゆる「ふと思い浮かぶ」ということはときどきある。だが、それはバックグラウンドで行われた無意識的思考の産物なのでない。古い問題へちょっと舞い戻ってしまったら、前進を阻んでいたそもそもの原因、すなわち、無くもがなの堂々巡りから今や解放されているおかげで、前はどこか逃げていた答え、あるいは薄々とは察していた答えが見つかったのだ。
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人間が注意の焦点とし、意味を押しつけようと試みることができるのは、一度にたった一組の情報なのだ。といっても脳は実際には多くのことを同時にこなしている。たいていの人は「歩きながらガムを噛む」のみならず、歩きながらガムを噛みながらたまたま聞こえてきた会話の内容に仰天したりもできる。だが、心がその会話にロックオンしたら、歩行やガムには同時にロックオンできない。ほかの活動は呼吸や心拍の制御と同じように、文字通り無心のままに行われるのだ。無心のまま行われる自動処理は、何ができるかも、どれくらいできるかも非常に限られている。
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思考のサイクルとは全く別のところ、すなわち意識的な気付きの水面下でバックグラウンドの思考がひそかに問題をじっくり考えてくれているのだ、という直観を私たちは抱いてしまう。だが、逆にそれこそが起きていないことなのだ。無意識による問題解決は、いやあらゆる種類の無意識的思考は神話にすぎない。
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脳の協働式の計算は、単一のネットワークが二つ別々の作業を実行することをそもそも不可能にしているからだ。これは、意識的に取り組める問題は一度に一つきりということだけでなく、ある問題を意識的に考えているときは別の問題のことは無意識にすら考えることができないことを意味する。
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つまり脳は、倦むことなき迫真の即興家であり、一瞬また一瞬と心を創り出している。とはいえ、新たな思考は無から創り出される訳ではない。新たな即興は過去の即興の断片から組み立てられる。だからこそ、人は誰もが唯一無二の歴史そのものであり、その歴史を再配置して新たな知覚や思考や感情や物語を創り出すことのできる素晴らしく創造的な機械でもある。歴史を積み重ねるうちに、ある思考パターンは自分にとって自然になり、他の思考パターンは下手になったり苦手になったりする。だが、一方では過去に頼っているとはいえ、私たちは継続的に自分自身を創作し直してもいる。この創り直しの方向によって、自分が誰であるのか、これから誰になるのかを変えていける。
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以上引用です
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感想は・・・面白かった!
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難解な概念を、できるだけ分かりやすい比喩を使って説明してくれている。それでも難しいところはあったけれど(笑)
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まずは、人間の視覚や知覚の曖昧さだ。目で全体象を見ているようでも実際はごく限られた範囲しか捉えていないし、心の深いところで考えているようで瞬間の上澄みだけを掬っていると。
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ほんとか、おい!(笑)
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長年、「人間」をやっていても分からない感覚だ。
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全てが見えているし、感情が心の中から湧いてくる感じがするからね。いわゆる「大いなる錯覚」と言うそうで、フロイト批判でもある。
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つまるところ、脳はその瞬間、瞬間に即興で反応しているだけらしい。
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今読んでいる別の本によると、わたしたちが意識的に注意を向けることができるのは脳内に氾濫している情報のうちわずか0.0004%程度らしい。
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なんとも切ない・・いやこれが刹那か(笑)
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脳の神経細胞(ニューロン)はコンピューターに比べるとのろまでのんびり屋だ。それでもその数はおよそ千億個で、百兆箇所で互いに結合して協働しながらパターンを生み出しているそうだ。
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ここが人間の思考の肝なのかなと。
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計算やルーティンで機械には勝てないけれど、膨大な比喩や想像力を結び付けて0から1を生み出せる能力だ。進化の過程で、スピードを犠牲にしても創造性と想像性は排除しなかったのかな。
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あとね、シングルタスクの重要性が分かる。脳の構造上、マルチタスクは実現できないそうだ(心臓の鼓動や呼吸など例外はあるけれど)食事中もテレビを消すだけで、より美味しく感じるよね。
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個人的に、一つのことに集中して取り組むほうが性に合っているので、ここは読んでいて「うん、うん」と満足気に頷いていた(笑)
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読後は、日常で何か連想したり思い出したりしたときも「あ、深いところから捻り出したんじゃなくて、経験をロードしつつも、即興に即興を重ねてポンっと出てきただけだな」と考えるようになった(笑)
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最後にもう一つ引用させてもらう。
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ひと言でいえば私たちは、ワンステップごとに感覚入力から意味を絶え間なく創造して止まない心の機関を搭載した、苛烈な即興家なのだ。だが自覚できるのは創り出された意味のみであり、それが生まれたプロセスは隠されている。一歩一歩の即興があまりにも淀みないせいで、どんな問いを自分に訊ねても、それへの答えは心のなかにずっとあったと錯覚してしまう。だが、実際には、何を言うときも、何を選ぶときも、どう行動するときも、私たちは一度に一つのことを思案し、まさに文字通り「決心」を、心を創り上げているのである。
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おそらくほとんどの人は常識が覆されるんじゃないだろうか、そんな深みを感じられる本でした。あ、心に「深さ」は無いんだった(笑)
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「人の存在とは一瞬の時間の連続である」ハイデガー
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興味のある方はどうぞー
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