「快楽としての動物保護」を読み終えた。
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タイトルに惹かれてどうしても読みたくて購入。いわゆるジャケ買いだ(笑)著者の専門は「比較文学・比較文化」で大学教授らしい。
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ネイチャースタディの支持者たちにとって、いわゆる「科学」は単なる無味乾燥な知識の集積に過ぎず、ネイチャースタディの全人教育的な理想の前では、より低俗なものとして否定的に受け止められていた。
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[自然回帰運動] 都市という不自然な、あるいは過剰に文明化された環境の中で生活することが人種的退化を引き起こすという一種の社会不安を背景に巻き起こった運動。
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シートンは生き物は本質的に善であり、ゆえに人間という存在は、むしろ誤った教育や環境の中で、生来持っていた美徳を失ってしまっていると考えた。
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デジタル加工技術を利用する写真家の最大の裏切りは被写体が存在する現場に写真家が実際に「居合わせない」ことにある。
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商品として売れなければ撮影した意味自体がなくなってしまう。売れる写真を作れば、その写真はより多くの人の目に触れる機会を得ることができ、世間への影響力も増加する。そして売れる写真を作るために画像の加工は必須であり、そうした努力によって動物写真家として生き残ってこそ動物写真を通して自然保護を伝える機会を得るのである。
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とりわけアラスカ先住民の写真表象においてしばしば強調されたのが、彼らの笑顔である。微笑は他者を理想化する上で一つの鍵となる。
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写真というのは本来、何かの「不在」を表現するのには不向きなメディアである。
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「ちょっと待ってくれ。おれたちの想いは、あなたたちの考えている自然保護とは少しちがうんだ。おれたちは季節と共に通り過ぎてゆくカリブーを殺し、カリブーと共に生きている。自然は見て楽しむものではなくおれたちの存在そのものなんだ」
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保護の対象となる生物は人間の好みや経済的利益をもたらすか否かで選択される傾向があり、人間の赤ん坊のような可愛さや、ぬいぐるみ的な愛らしさを持つ大型哺乳類は注目を集めやすいが、無脊椎動物や昆虫類など小型で人間にはあまり魅力的に見えない生物種はごく低い関心しか集めない。
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動物の絶滅の要因として人間の濫獲がしばしば取り沙汰されるが、厳密には近代以降の絶滅の約7割は生物の生息場所の破壊が原因だと言われている。
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科学的客観性に支えられていると考えられがちな動物保護や自然科学の領域でさえ、人間の美意識や商業的価値、文化的バイアスから決して自由ではない。
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自己と他者の差異を明確にしたいという欲望は、見方を変えれば両者の間にそれほど大きな違いが見られず、にもかかわらず互いの差異を際立たせなくてはならない強い必然性が生じたときにこそ発現しやすい。
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動物を保護したいという熱意の高まりは、今日においてもしばしば自分たちより下等で野蛮や「虐待する誰か」を発見し攻撃したいという欲望と密接につながりを持っている。
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過激な破壊活動を伴うエコ・テロリストらが追い求めるのは絶滅を危惧される動物の個体数が実際に回復するといった現実的かつ具体的な成果ではない。保護活動の成果があがったと支持者に実感させるような分かりやすいパフォーマンスを実践することで、そのパフォーマンスを目撃した支持者が受け取る心理的充足感こそが重要なのである。
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映画「ザ・コーヴ」の観客たちは、ワトソンらによって練り上げられたそれらしい正義の物語に、単純に踊らされているわけではない。むしろ、こうした映像表象の消費者である彼らこそ、精巧に作り上げられた物語を積極的に渇望する存在としてこの正義の物語に自ら進んで加担しているという面がある。
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言い換えれば、動物保護を含む環境保護活動全般は、活動の一環として拡散されるフィクショナルな救済幻想の中に身を置きたいという大衆的欲望を満たすための商品として広く消費されているということである。
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以上引用です
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感想は・・・面白い!
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全部で三章から構成されていて、文章、画像、動画へとメディアの移り変わりと共にどういう風に自然や動物が崇め奉られてきたかがよく分かる。
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その思想の核には純粋な保護の形があるあけではなく、優生学や人種階層から大きな影響を受けていて現在のいわゆるドルフィンカルトやエコ・テロリズムに繋がっていく。
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ちなみに現在指名手配されている元シーシェパードの船長のポール・ワトソンはこういう事を言っている。
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「メディアこそが現実を規定する。何が現実かは何が報告されたかによって決まる」
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「客観性とは神話であり、幻想であり、ペテンであり、策略である」
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「感情は常に事実に打ち勝つだろう。大げさに演技せよ。ユーモアを用いよ。観衆をあなたたちのような人間に変えなさい」
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言っていることはヒトラーやナチの宣伝相ゲッベルスと変わらない。もはや壮大なプロパガンダで、フィクショナルな商品化されたショービジネスなのだ。
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日本でもウサギや鹿、鎌倉時代には犬も食べていたようだ。逆に「生類憐みの令」が出て虫一匹殺せない時代もあった。以前日本料理の「活け造り」がオーストラリアで野蛮な行為として非難されたこともあったよね。
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いつの時代のどんな分野にも一部過激な思想な人がいて、それを巧みにマネタイズする人がいるということだ。
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つまるところ、タカりやすいところからはタカり、タカリにくいところからはタカらない。
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こういったラディカルな活動は、ごく普通の善意から活動している人にとっても迷惑なんじゃないだろうか。
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あと印象に残ったのは上にも書いたが
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動物の絶滅の要因として人間の濫獲がしばしば取り沙汰されるが、厳密には近代以降の絶滅の約7割は生物の生息場所の破壊が原因だと言われている。
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の件だ。
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それを受けて著者は「大量のプラスチックゴミが問題になっているが、プラスチック製造工場が動物保護団体に襲撃されたという話は聞かないし、海水浴客相手に抗議デモが起きたということもない」と皮肉っている。
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シーシェパードや、ぽっと出の環境保護活動家に違和感を感じる人はぜひ読んでみてほしい。時間が無い人は第三章だけでも読む価値がある。とても丁寧に書かれている良書です
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興味のある方はどうぞー
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