「日本共産党 「革命」を夢見た100年」を読み終えた。
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タイトルが面白そうだったので購入。著者は大学教授で、専門は日本政治外交史、現代日本政治論らしい。
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日本共産党は1922年の結成以来、100年後の現在に至るまで大きく変貌した。最も重要なのは、第一にソ連共産党に対する従属から自主独立路線への転換であり、第二に暴力革命路線から平和革命路線への変化である。
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今なお、暴力革命の方針を堅持していると主張するのは無理がある。党員の高齢化が著しく、党員の間に非暴力主義が浸透している現在、日本共産党が武装闘争を行う意思だけでなく能力も欠いていることはまず間違いない。
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党員の高齢化が著しく65歳未満が約6割、65歳以上が約4割となっている。最大の原因は若い世代や現役労働者の獲得に成功していないことである。それに匹敵する問題が機関紙「しんぶん赤旗」購読者数の減少とそれに伴う党財政の悪化である。
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共産党の人事は事実上の任命制であり、党員ですら委員長選挙の直接的な投票権を持たない。共産党は民主集中制を近代政党として当然の組織原則と主張するが、かくも厳格に分派を禁止し、強力な党内統制を加えている政党は例外的である。
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ソ連の解体から30年あまり経てもなお、科学的社会主義(マルクス・レーニン主義、共産主義の別称)と称する共産主義のイデオロギーについても見直しの兆しをみせていない。
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[大逆事件] 明治天皇の暗殺計画が発覚したのをきっかけに多くの社会主義者が検挙され、暗殺計画に無関係な者を含め26名が起訴された事件(1910年)翌年、幸徳秋水ら12名に死刑が執行された。
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福本イズムとは理論闘争を通じて不純分子を分離し、純粋な共産主義者のみで結合し直す「分離・結合」論である。左翼小児病とも言える急進的な方針であり合法無産政党や労働組合などで分裂が加速することになる。
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治安維持法の重要な変更点は、一つに刑罰を重くしたことである。最高刑が従来の懲役10年から、国体の変革を目的とする結社については死刑へと引き上げられた。
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有能な女性活動家であっても党幹部と結婚すれば、その付属物とみなされ家庭に入るしかなかった。
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紆余曲折があるとしても、生産力と生産関係の矛盾から必然的に革命が起き、最終的には共産主義というユートピアが実現する。そうである以上、歴史の進歩を推し進める戦列に加わらなければならない。こうしたマルクス主義の前向きなメッセージが解放を求める人々の心を強く捉えたのである。
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特高警察は取り調べにあたって、凄惨な拷問を加えた。もちろん拷問は当時も違法であったが、特高警察の内部では事実上容認されていた。
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広島と長崎への原子爆弾の投下、ソ連の対日参戦を経てようやく降伏が決断されたが、本土決戦が回避され、近衛文麿首相が危惧した共産革命は起きなかった。いいかえれば、幹部が獄中にいたこともあり、日本共産党は「帝国主義戦争の内戦への転化」という革命的敗戦主義を実践に移すことができなかった。
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(戦後に)スパイを警戒しての査問とリンチ、犯罪的な手段による資金調達と幹部の遊興など、非合法活動を強いられた戦前と全く同じ問題が発生したことには、あらためて驚かされる。男性幹部に女性のハウスキーパーを配置して地下活動を補助させたのも、戦前以来の悪弊と言わざるを得ない。
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共産党にとって戦後、学生や青年労働者の対策は難題であり続けた。青年期特有の正義感などから共産主義に引き付けられやすく、党員の巨大な貯水池になった反面、自立心と反骨心ゆえに党の指導に従わず、急進化する傾向が強かったからである。
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以上引用です
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感想は・・・面白い!
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知らないことばかりだった。
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日本共産党の1922年の結成から現在に至るまでの100年にわたる歴史を概観できる。中身はなかなか重たい本だ。
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1917年のロシア革命(10月革命)でレーニン率いる左派のボリシェビキが権力を掌握して帝政ロシアが終わる。
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そしてボリシェビキからロシア共産党に改称し、世界に共産主義を輸出し始める。こんな感じで日本にボリシェビズム(共産主義)が伝わったそうだ。
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個人的に興味深かったのは、戦前から戦後くらいの間だった。
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戦前の共産党は非合法組織だったんだよね。治安維持法もあって思想や結社の自由が厳しく制限されていた中、戦争に反対しつつ、それに乗じて革命を起こすことをめざしていた集団だ。
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どれだけ弾圧され、拷問され、レッドパージされようとも地下に潜伏しながら不死鳥のごとく甦る。思想はともかく、その胆力は素直にすごいと思う。
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だからこそ、紆余曲折を経てなお1世紀後の今も存在するんだろう。
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大東亜戦争での敗戦後、GHQの統治下で共産党は合法化される。
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マッカーサーは生粋の「反共」で、共産党をソ連の手先として全く信用していなかった。それにも関わらず、民主主義の観点から戦前の政治犯たちを獄中から解放しているんだよね。筋が通っているなと、心を打たれた。
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あともう一つ思ったのは、党外と同じくらい党内での闘争が熾烈だ。粛清までとはいかないまでも、少しでも思想が異なれば簡単に除籍され、党内のスパイを警戒してお互いに疑心暗鬼になる。
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つまるところ、内ゲバだ。
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こういう環境でまともな思考は生まれにくいんじゃないかな。
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ちなみにジャーナリストの有田芳生さんは除籍処分になっていて、「蟹工船」で有名な小林多喜二氏は特高の拷問で虐殺されたそうだ。
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現在の共産党は、政党交付金や、企業団体献金を一切受け取らず、党費、機関紙の購読料、個人からの寄付で調達している唯一の政党でもあり、日米安保条約を廃棄して在日米軍を撤退させ、自衛隊の解消を求めている党でもある。
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歴史を振りかえると「共産党が解党する可能性」と「日本が共産主義になる可能性」は前者のほうが高かったんだろう。
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それでも偶然に偶然が重なれば、もしかするともしかしていたかもしれない。
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そんな風にも思った。
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最後にもう一つ引用させてもらう
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「負けたのは特定の型の社会主義に過ぎない」という人は、往々にして「社会主義Aは失敗したが、社会主義Bはまだ試されていない」という風に考えがちである。
だが、それは社会主義の歴史を踏まえない見方である。1950年代半ばのスターリン批判以降、さまざまな国でさまざまな仕方でスターリン型社会主義からの脱却の試みが30年以上もの間続いてきたことを思えば、問題は「社会主義Aも、社会主義Bも、社会主義Cも、社会主義Dも、社会主義Eも・・・失敗した後に、なおかつ社会主義Xの可能性をいえるか」という風にたてられねばならない。
そして、これだけ挫折の例が繰り返されれば、もはや望みは一般的にないだろうと考えるのが帰納理論である。
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オマハの賢人の言葉を一つ
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「われわれが歴史から学ぶべきことは、いかに人々が歴史から学ばないかということだ」ウォーレン・バフェット
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大変面白かったです。
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