「ハウス・オブ・グッチ(下)」を読み終えた。
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上巻の続きです。
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ビジネスマンとして彼は非現実的で、経営者として無能で、リーダーとしての資質もほとんどないという結論に達しました。このビジネスで彼が成功できる望みはほとんどないし、遠からず債権者たちはわれわれにこの社を委ねることになるだろうと確信したのです。
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パトリツィアは指の間からどんどん大切なものがこぼれおちていくような気がした。焼けつくような嫉妬と憤怒にかられて、パトリツィアはパオラが軽薄で貪欲に金と地位を欲しがり、マウリツィオを手玉にとって彼の財産を食いつぶすとこきおろした。それはそのまま彼女にもあてはまると思った人も少なくなかった。
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マウリツィオは18才になった長女のアレッサンドラに、社交界デビューのパーティ費用にと約93,000ドルを渡し、「このお金はおまえが責任を持って使いなさい。パーティ以外のことに使ってもいいけれどおまえが管理するんだよ」といった。だがパトリツィアはすぐにそのお金を使って、自分は鼻を、アレッサンドラにはバストを整形させた。
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健康で容姿端麗で名門出身で世界一美しい豪華ヨットを所有していれば、友達を見つけるのは難しい。
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彼女を見ていると、これまで芽生えたことが無かった感情がふつふつとわいてきた。中身が空っぽで、物で固めなくては自分がなく、金でなんでも解決できると思っている女性だと思った。そんな感情がわきおこった自分が恥ずかしかったが、彼女とどうしても話をする気にならなかったんだ。
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前夫の死によってのみ、その傷はいやされたのです!そして死後、やっとこれで心の平安が得られた彼女は、日記に「天国」と書きました。この言葉こそ彼女の本音です。
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マウリツィオ・グッチは自分が持っていた富と名声のために死んだ。彼自身のせいではない。
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高級品ビジネスは、もはや単に品質、スタイル、接客や店のレベルが問われるのではなく、どこまで株価が上げられるかという企業間の過酷な戦いに勝利できるかどうかが成功の決め手となった。
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グッチはあいまいな立場に立たされていた。会社の定款には乗っ取りを防ぐための規定は定められていない。導入しようとする試みは株主たちから却下された。その上、上場している二つの証券取引所には乗っ取りを規制するための特別な法律は導入されておらず、企業自身が自分で身を守るしかない。
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社会復帰プログラムの一環として、パートタイムとして働くようにといわれたときのパトリツィアの断りのセリフは有名だ。「私はこれまでの人生で一度たりとも働いたことがない。なざいまさら働かなくちゃいけないのよ」
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以上引用です
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感想は・・・面白かった!
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限りなくフィクションに近いノンフィクションだと思うよ(笑)
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親会社が子会社を訴えたり、霊媒師に頼ったりとどうしてもスキャンダルのほうに引っ張られがちになるけど、町の小さな鞄屋がマルチブランド、そして世界的コングロマリットになっていく成功物語でもあると思う。
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ファッション業界の食うか食われるかの厳しい競争がひしひしと伝わってくる。特にプロキシーファイトとホワイトナイトの件が面白かった。
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つまるところ Winner takes all なのだ。
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ちなみに、現在グッチは再編に再編を繰り返してケリンググループの一つなっている。
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他にはサンローラン、ボッテガ・ヴェネタ、バレンシアガなどのブランドを持っていて、ケリングとLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)がファション業界の2大コングロマリットのようだ。
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人、物、カネの中で一番難しいのは人に恵まれることかもしれない。逆に物とカネが無くても人に恵まれている人は幸福度は高いんじゃないかな。
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一人でぽつんといる孤独と、たくさんの人に囲まれている中の孤独は違うだろう。
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あとね、実行犯よりも計画犯のほうが罪が軽くなるのはどうなんだろうなと。そりゃデューク東郷を雇いたくもなるわ(笑)
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この文庫版の新版にはあとがきがあって、それによるとパトリツィアは映画での自分の描かれ方に不満をもらしているそうだ。
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特にレディガガが自分を演じているのが腹立たしく、出演者が挨拶に来ないのと自分に一銭も支払われないことにお怒りだそうだ。
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たとえ刑務所に服役しようとも根っこの部分は変わらない。すがすがしいくらいの、揺るぎないアイデンティティだと思うよ。
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「一人の男の心を本当にとらえることができる女はほとんどいない。ましてやそれを自分のものにできる女はもっとまれだ」 パトリツィア・レッジャーニ
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とても読み応えがありました。
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