「なぜ私たちは燃え尽きてしまうのか」を読み終えた。
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著者はエッセイストでジャーナリストらしい。自身が燃え尽き症候群で大学の終身在職権(tenure)を失った経験が大変興味深かった。
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原題は Why work drains us and how to build better lives
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バーンアウトに陥る人は理想主義的傾向が強い。高い理想を掲げて仕事をする人の場合、その高潔な理想が問題を引き起こす。どんなにがんばっても理想には届かないからだ。
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世界保健機構の国際疾病分類はバーンアウトを病気ではなく症候群として分類した。スウェーデンやヨーロッパ諸国のなかにはバーンアウトを有給休暇や疾病手当を受けることができる正式な診断名として認めている国もある。
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バーンアウトの測定方法についてはコンセンサスがほとんどなく、広く認知された診断方法も存在しない。またアメリカ精神医学会の精神障害の診断と統計マニュアルにもバーンアウトは疾患として位置付けられていない。
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ひたむきだからこそ、私たちはバーンアウトの罠にはまってしまう。長時間、根をつめて働きすぎるのだ。自分の内側からは働かなければ、助けなければというプレッシャーを感じ、外側からは与えろというプレッシャーをかけられる。さらに管理者からも、もっと与えろというプレッシャーがかかればその人は三方面からの攻撃にさらされることになる。
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自分の仕事に対して抱く理想と現実のギャップ、それがバーンアウトの発火点だ。私たちが燃え尽きるのは、自分のしている仕事が自身が期待している水準を満たさないときだ。ただ、そういった理想や期待は個人的なものだけでなく文化的なものもある。裕福な国の文化では、人々は仕事に報酬以上のものを求める。尊厳を求め、人としての成長を求め、ときには何か超越した目的を求めることさえある。
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アメリカの労働文化において疲労はけっしてネガティブなものではない。無理のしすぎがタブー視されることはないからだ。むしろタブーとされているのは仕事ができないと認めることだ。
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「きみは毎年、毎年、凡庸なやつらが自分を飛び越して昇進していく状況に対して、憤慨もせずひがみもせずに耐えられると思うかね?」
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私たちは自分の仕事の現実と理想を近づけるために、これまで以上に無理をすることになった。そしていまやこのようなつらい状況はすっかり一般的になったため、従業員を採用し、バーンアウトさせ、解雇し、それを繰り返すという行為は雇用側が意識的に行う人材戦略のようになってきている。
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今日、自己実現とう言葉は低賃金、低い地位の仕事を語るときのレトリックにさえ登場する。「天職」はキリスト教会では依然として仕事の総称であり、「天職」という言葉は実業界のヒエラルキーにおけるすべての地位を神聖化する。そして「愛」という言葉はすべての産業で労働に意義を持たせるために利用されている。仕事が愛や救済に姿を変えれば、労働者は労働環境のことなど気にならなくなってしまう。理想のために働けばそれだけで報われてしまうからだ。
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じつはフロー状態がもっとも起こりやすいのは仕事中だ。なぜなら仕事には、目標、評価、規則、挑戦のすべてが組み込まれており、そのすべてが労働者に、仕事に関われ、集中しろ、没頭しろと促すからだ。模範的な労働者たちは仕事に没頭して我を忘れることでその自我をいっそう強化することができた。そしてそのような変化を経るうちに、仕事は楽しいものになり、自分の精神的エネルギーを投入したことで、その仕事はまるで自分が自由に選んだかのように感じられるようになる(ミハイ・チクセントミハイ)
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機能を果たすだけの人間は、自分の仕事に完全に満足する傾向があるため、自分は充実した人生を送っていると錯覚しそれを喜んで受け入れる(ヨゼフ・ピーパー)
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働けば働くほど、仕事がその人の人格形成に与える影響は大きくなる。仕事は収入や資産を生むだけでなく、規律ある個人や統制しやすい臣民、価値のある市民、そして責任ある家族を生む。
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アメリカ人は心の底から引退する日を楽しみにしているが、キャリアがいったん終わってしまうとその後何をしたらいいか分からなくなる。年配の労働者の約40%は、いったん引退したあと再び仕事をするようになった人たちだ。
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ルーク神父は自分が修道院のなかでもっとも稼いでいるうちのひとりだと知っている。「修道士の品格や価値を、その人が生み出す労働の量や質で判断することはできません。すべての修道士に無限の価値あると考えなければならないのです」たとえ失業してもその修道士がコミュニティ内で尊厳を失うことはない。
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四半期ごとの利益目標に、労働者が健康を害してまで達成するほどの価値などない。また、顧客満足度よりも、注文を受け、クレームに対応する人たちの尊厳のほうがずっと大切だ。自分の仕事に対するプライドも、仕事をしていて感じる不安やバーンアウトも、その人の人としての尊厳を上回る価値はないのだ。
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バーンアウトを克服し、他の人たちに成功を助けるには自分の仕事への期待値を下げること、そして他者が私たちにしてくれる仕事への期待値を下げることが重要だ。そのような思いやりは私たちのなかに備わっているのだ。
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以上引用です
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バーンアウトの言葉自体は定義も曖昧で、半世紀の間これといった進歩もなく解決策もないそうだ。
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感覚的には疲れ切って何もする気が起こらない状態、いわゆる虚無で燃え尽きた感じだろうか。
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今はのんべんだらりとアルバイトをしている自分も、若い頃に正社員で働いているときは月80時間ほど残業をしていたこともある。
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最初「しんどいな」くらいから始まって、少しずつ少しずつ習慣化する。人間の適応力は素晴らしいもので、やがて馴化し気づけば残業している自分かっこいい、長時間労働バンザイ!くらいの感覚になる。
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そんなパワハラ、セクハラ、モラハラという概念がなく、タバコの煙がもくもくと立ち込める中でどれだけ長時間職場にいられるかが称賛の基準になった時代に比べれば、随分働きやすい環境になっていると思うよ。
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アルバイトを始めた当初、働きやすさに驚いたから(そういう面では)
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個人的に仕事は大事だと思っている。お金を稼ぐだけでなく自身の成長、社会との繋がりなど生きていく上で重要な要素を担っているからね。
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一方で仕事が人生のすべてではない。あくまでも人生のピースのひとつで、幸せになるパーツの一部だ。
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この辺のバランスは、社会でもがきながらその閾値が見えてくるんだろう。個人にできることは仕事を生活の中心から外すことだろうか。
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勤労は美徳という社会のコンセンサスと、怠惰は罪という文化が強すぎるのもあるだろう。つまるところ、周りがそれを許さないと。こちらは一個人で太刀打ちできそうにはない。
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誰の言葉かメモするのを忘れた(笑)けれど「人生の終わりの一番価値の低い時期を自由に暮らすために、人生の一番いい時期を金稼ぎで費やす人は愚かだ」とまでは言い切れない。
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しかしながら、仕事ごときに体や精神を苛まれる筋合いもないのだ。
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上にも書いたように、日常的なストレスや不快感を全てバーンアウトと呼んで医学上の問題にするのは間違いのようだ。
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マーケティング担当者たちはバーンアウトをWHOお墨付きの職業関連症候群として騒ぎ立てるが、その定義については当事者の主観に頼っている。そうやって広範であいまいな一連の症状に科学的権威の皮をかぶせることでバーンアウト危機を作り出そうとしているのだ。そしてその治療を求める人たち向けに、健康法からたくみに設計された一大市場を築いている。
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とどのつまり、バーンアウトを食い物にしている連中もいるのだ。病気との線引きが曖昧な症状や怪しい略語にも言えるだろう。ここは大事なところだと思う。
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最後にとても好きだったところを
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「あんたがおれの人生の何を知ってるっていうんだ。駐車場で働いてるおれを知ってるからっておれの人生を知ってることにはならないんだぞ」
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あなたは、あなたの生産性よりずっと価値があるのだ。
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読み応えがありました。面白かったです。
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