「翼っていうのは嘘だけど」を読み終えた。
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著者はフランス人のフランチェスカ・セラさんだ。本屋をぶらついていたときに偶然見つけて購入。
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「きれいな子だ」と言うか、何も言われないかのどちらかだ。女の子を形容するための他の言葉はない。「機転が利く」「快活だ」「自主性がある」「粘り強い」「しっかりした考えを持っている」などの長所は気づかれることさえない。
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人は一人でいる人間を避ける。まるで伝染病を持っているかのように一人でいる人間に距離を置き、それをなんとも思わない。一人でいる人間は悪癖の持ち主だと疑ってかかり、排除を正当化する。誰とも一緒にいないということは、偶然の出来事とはみなされない。
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悲劇というのは時に巧妙な役割を果たすものだ。悲劇は、人々の心の奥底で眠っていた激しい感情を呼び覚まし浄化する。これ幸いと、皆がいっせいに感情を --- だが抑制された形で --- 表出するのだ。こうしておけば、長期にわたって我慢してきた人々の感情がそれぞれ好き勝手に悪いタイミングで噴出するのを避けることができ、そのせいで社会が危機に陥るのを避けることができるのだ。
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絶対音感を持つ音楽家が、曲の中に巧妙に組み込まれた秘密の音を聞き分けるように、ラファエルは人工の靴底がその場できいきい軋む音も、うわべだけの行為が崩れ落ちる音も、なんとか飲み込んだ唾がごくりと喉を通る音も、集団的偽善の風がいっせいに吹く風も、すべて聞き取ることができた。
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いずれにしても、ガランスの人気曲線は、ガランスのブラジャーのカップサイズと比例して上がっていった。こうしてスアドは、徐々にガランスに対する影響力を失っていった。
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二人と同じ匂いがした。表面の薄っぺらい皮をはぐと、その下には別の薄っぺらい皮があらわれ、さらにその下にも延々とそれが続いているタイプだ。
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子どもというのは、誰でも自分がある種の免責特権を持っていると信じているものだ。それは、親は必ず自分のことを許してくれる、という強い確信であってあらゆる罪悪感をしのぐ。どんな罰を受けようとも、この確信が揺らぐことはない。罰は親子の交流であるとさえいえる。恐ろしいのはこの交流が絶たれること、つまり、大人の側の愛が冷めてしまうことだ。
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「なんでもありなんです、政治危機であろうが、自然災害であろうが、戦争であろうが。なんでもミームにしてしまうんですよ。あるいは子どもや障害者も対象になります。大統領でもローマ教皇でも、ミームの対象から逃れることのできる人はいません」
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膨大な数の自分の写真、女優のカラー写真、友だちの白黒写真。友情の証、愛の証、ひねくれた根性の証はいったいどれだけあるのだろうか?
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小さな資本家である彼らは、こうした映像に価値があること知っている。自分の値打ちを上げるためには目立つことが必要なのだと知っている。アルゴリズムはより多くの「いいね!」を集めた投稿を上にもってくる。ページの上にあるほど、より人の目に留まりやすくなる、絶滅の危機に瀕している動物でさえ、その利益が守られるためには「いいね!」が必要だ。アマゾンの森林の樹木でさえ、誰も「いいね!」をつけなければ消滅してしまうことだろう。
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いったい何人がこのことを知っているのだろう?明日は何人が知ることになるのだろう?
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人間は欲情をそそるために食べるのをやめてそのせいで死ぬこともできるし、脂肪で内臓器官を詰まらせてそのせいで死ぬこともできる。
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母親が自分に言っていたことは嘘だと分かった。男の子の背中につかまってスクーターに乗っている女の子は不死身なのだ。
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皮肉のレベルは無限ではない。まず、もう他人を笑わせようとせず、自分だけが笑うことのできるユーモアの段階に到達する。その後は、他人から理解されることさえ求めない段階にたどり着く。次の段階は人を傷つけることだ。さらに次の段階、そのまた次の段階へと進む。だが、そのうちに、それでは満足感が得られないことを漠然と感じるようになる。それでも進み続ける。そのかいあって分かってくることがある。これまで傷つけてきたのは実は自分自身だけだったということに気が付くのだ。
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どうして彼女がいなくなったか知っているかと尋ねてみる。彼らは首を横に振って答える。知らない、と。もちろん彼らは知っている。彼女はいなくなったのではない。彼らが追放したのだ。
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お騒がせ娘は魅力的だ。皆が羨み、真似をし、SNSをフォローする。だが近づきすぎると火の中に投げ入れられる。火は燃え続けなければならないからだ。学校じゅうを席巻する噂の火を絶やさないようにするために、彼女たちはつねに燃えるものを探している。
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SNSを実際の知人グループ間で使うにしても匿名の場で使うにしても、孤独を恐れ、繋がりを求めるがゆえに徐々にその世界に対する依存を強めることになり、依存すればするほど、それはより「リアル」なものになる。
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以上引用です
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面白かった!
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現代版「若者のすべて」といった感じだろうか。結構長い(笑)
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つまるところ、ソーシャルネイティブのリアルだ。
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フランスで最も権威ある新聞「ル・モンド」紙が主催する文学賞の「ル・モンド文学賞」作品らしい。中身はなんと700ページを超える長編で、時間軸が過去と未来を行き来しながら進んで行く。
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主人公のガランス・ソログブは容姿端麗な15才の少女だ。
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無限のパワーが漲って、根拠なき全能感を備え、無為に刺激を求め退屈を糾弾する誰もが通ってきたであろう人生のゴールデンタイムだ。
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デジタルは時や場所を越えて瞬時に世界中と繋がれる素晴らしい技術だ。不特定多数が見守るスクリーンの向こう側へ、誰もが口をすぼめて斜め上から撮った奇跡の一枚をアイデンティティとしてお披露目できる。
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一方で、ささいな過ちが終身刑になってしまうことでもあるよね。
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バタフライエフェクトよろしく、何気ない投稿が意図せぬ結果に変わってしまう。
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若気の至りで体に入れた墨を消すよりも、グーグルの検索結果からタトゥーを消すほうがはるかに難しい。
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ちきりんの「自分の意見で生きていこう」から
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「承認してもらうべき対象 = 自我」が確立していないと多くの人から承認を得ることはできない。
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若者は年配者のことを「古い、時代遅れ」と批判するように、年配者は「今の若者は」と溜飲を下げる。
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この構図が面白いのは、今の若者もいずれ年を重ねて批判される側になるだろうし、年配者も若いときは何かしら目上の人を批判していただろう。
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どちらかを選ぶとしたら、いがみ合っているよりはお互い気持ち良く過ごせたほうが建設的なんじゃないかな。アルバイトでも結構思うところがある(笑)
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ティーンならではの同級生との苦悩、大人との世代間相違、そしてクジラことソレーヌとの見た目の齟齬をうまーく織り交ぜているなと。
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物語の後半は、アオハルから純文学めいたミステリー小説にがらっと趣が変わるので驚くと思う。そしてそのままラストまで突っ走る、はー。もう700ページほど続きそうな感じだった。
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最後に少し長いけれど、一番刺さった件を引用させてもらう。
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世間は自分たちの世代をバカにしたり、非難したりするかもしれない。だが、前の世代だって、彼らが自分たちの特徴だと思っていたものは幻想に過ぎなかった。こうなのだ、こうありたい、と自身を投影していた幻想に過ぎなかったのだ。過去の世代には戦争があり、宇宙征服があり、カウンターカルチャーやロック、エレクトロミュージック、ハードドラッグがあった。そして自分たちの世代にはSNSがある。きっと次の世代も同じようにしていくのだろう。新たな彼ら自身のやり方で、自分がかりそめの取りに足らない存在であるという感覚から逃れようと試みるのだろう。当然のことながら、今インターネット上で自らの幸福をひけらかしている者たちはばかではないし、それを感心して見ている連中もお人好しではない。誰もがルールに則って役割を演じているだけだ。誰だって端役にはなりたくない。主役を張ろうと機をうかがっている。そうして自分を誇示し陶酔感に浸りながらも、だが何かうまくいかないと誰もが感じ始める。
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個人的に、ティーンほどリビドーとプラトーが絶え間なくやってくる期間は無いと思う。楽しまないと損だよね。あ、適切に(笑)
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「流行とはひとつの醜さの形であり、とても人を疲れさせるので三ヵ月ごとに変える必要がある」オスカー・ワイルド
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翻訳もとても素晴らしく読み応えがありました。
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