「センスの哲学」を読み終えた。
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著者は立命館大学大学院の教授だそうだ。この方の本は初めてだった。
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「わかる」というのを判断、判断力としましょう。「センス」とは直感的な判断力です。あるいは理解でもいいでしょうし、分別や識別とも言えます。
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人間は他の動物種よりも自由の余地が大きく、いろいろなものに関心を向け、欲望を流動的に変化させることができる存在です。自由の余地が大きいために、人間は関心の範囲をある狭さに限定しないと不安定になってしまう。過剰に多くのことが気になってしまうからです。その一方で未知のものに触れてみたいという気持ちは誰にでもある。それもまた人間の自由ゆえです。いわば人間とは「認知が余っている」動物で、余っているからいろいろ見てみたくなるけれど、自分を制限しないと落ち着かないというジレンマを生きている。
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文化資本が多いとは、いろんなものを鑑賞したり読んだりしてビッグデータを蓄積していることですが、それはモデルが非常に多いために、特定のモデルに執着しなくなるということでもあります。非常に多くのデータがあり、なおかつ十分にこなれていると再現志向から降りやすくなる。
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文化資本の形成とは、多様なものに触れるときの不安を緩和し、不安を面白さに変換する回路を作ることである。
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芸術的なアプローチで生活を捉えるというときに、核心的なのは「それは何なのか」「何のためなのか」から離れて、ものそれ自体の面白さを見る。つまり意味は脇に置いて、リズムに感覚を届かせることです。
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視野とは、大きなフレーム、外枠を設定することだと言える。何が起きようがフレーム内では耐えられるわけです。フレームが小さいとそれをはみ出した経験は耐え難いものになる。ならはフレームを最大限デカくしてしまえば、諸行無常、何でも平気になる、というのは仏教的方向性ではないかと思います。何でも想定内などと言うと、そういう方向には一種のまずさを感じるのですが、しかし予測の当たり外れに耐えられるようになるのは人間にとって必須の条件です。
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下手というのはモデルに対して届かないズレです。それに足し、ヘタウマ的と言えるようなセンスとは、モデルに対して余っているようなズレだと言える。届かないズレと、超過するズレがある。超過するズレというのは、ランダム、偶然性、デタラメ、いわば可能性が余りまくりの状態から限定していくことで生まれるものです。それに対してモデルに合わせようとしてがんばるために、そこに届かないというズレにしかならないのが下手という現象です。
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美術館に行って、絵を見て、パっと何かが分かって次の作品に進んでしまうのは行ったかいが無いですよね。絵の前で立ち止まって、ゆっくり思いを巡らせながらいろいろな視点で見る。そこにわざわざ美術館に足を運ぶ醍醐味があるわけです。
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芸術に関わるとは、そもそも無駄なのものである時間を味わうことである。あるいは、芸術作品とは、いわば時間の結晶である。
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芸術になじむには、いろんなアーティストのいろんな作品を見ることが大事です。ものを限定するやり方にはいろいろあるということ、つまり「有限性の多様性」が分かるからです。それによって自分の生き方が柔軟になっていく。自分の生活においても、楽しみを見いだせるポイントはもっと多様だということに気付くでしょう。
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映像作品なら、どういう風にショット(場面)が切り替わるか、人物の動きや物の配置がどうなっているか。色や音の組み合わせがどのように展開するか。ごく、大ざっぱで構いません。とにかく「自分にとってどこが引っかかるか」が基準です。客観的に重要なことを自分は見抜けるだろうか?という風に自分を責めるような味方をするべきではありません。
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以上引用です
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読後に思ったのは・・
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自分はセンスが悪い。軽く落ち込んだ(笑)
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何かを見たり読んだりした後は、どうしても意味や目的を考えてしまう。
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どう考えても難解で意味不明な内容もあるんだけれど、人というのは何かしら意味付けできる能力もまた持ち合わせているんだよね。
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そんな脱意味的なアプローチの方法と、それらをどうやって日常生活にビルトインするかを教えてくれる。
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快楽と享楽の件は大変共感できた。
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人生は寝たいときに寝て、うまいものを食べて、セックスをするという楽しみ(快楽)だけでなく、努力して、耐えて、積み重ねた先にある楽しさ(享楽)もある。
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この両輪はどちらも大事で「リズム」(うねり)という言葉で説明されている。交感神経と副交感神経のようなものだろうか。
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確かカイジの作者である福本伸行さんも、似たようなことを言っていた記憶がある。このバランスが崩れるとおそらく病む。
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もうひとつは、芸術に限らず「分からない」を楽しめる能力だろうか。
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分からない本や映画なんかたくさんある(自分の知識と感性は棚上げして)
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くわえて「天使の子供が飛んでりゃフレスコ画、キュビズムってうまいの?」くらいの浅はかさだ(笑)
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例えば、初めてのジャンルに触れれば空振ることもあるだろう。
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でも何か響くものが見つかるかもしれないし、やっぱり自分には合わなかったと腑に落ちるかもしれない。
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こういう感覚は生存に必須ではないかもしれないけれど、人生を豊かにしてくれるポイントだと思う。レビューや評価に縛られずに、実際に時間をかけて経験してみると。
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つまるところ、センスを磨くというのは時間がかかるのだ(たぶん)
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最後に特にいいなと思ったところを
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映画をみたり、小説を読んだりしたときに「うわ、エグいわー」とか「なんてわくわくするんだ」「なんて悲惨な運命だ」とか思うことがあってもまずそれを半分に抑えるようにする。
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センスとは、喜怒哀楽を中心とする大まかな感動を半分に抑え、いろいろな部分の面白さに注目する構造的感動ができることである。
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ここは意識してブログを書いていきたいな。
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そしてもう一つだけ
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Don’t think. feel! It’s like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger, or you will miss all the heavenly glory.
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考えるな!感じろ!月を指し示す指に気を取られるな。さもないと、あの輝きをすべて見逃すぞ(ブルース・リー)
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読んだことがないタイプの本でした。
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大変面白かったです。
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