「宗教の起源 私たちにはなぜ〈神〉が必要だったのか」を読み終えた。
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著者は進化生物学者のロビン・ダンバー氏だ。
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言わずと知れたダンバー数を導き出した人で、自分も「友達の数は何人?」に衝撃を受けた一人だ。新作ということで買うしかない(笑)
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ちなみに原題は How religion evolved : And why it endures だ。
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他者と関わりながら道徳的に生きることが正しい道だという考えは広く見られる。一方でヒンドゥー教やジャイナ教の一部の禁欲主義者は、虚飾をすべて捨て去り、衣服さえも排除しないと救済は得られないと信じている。キリスト教の歴史においてもローマ帝国時代終盤のエジプトに出現したアダム派は全裸で儀式を行ったという。ロシアにはその名も去勢教というさらに過激な一派があって、エデンの園時代のアダムとイヴ本来の時代を回復すると称して、女性の乳房と性器、男性の陰茎と睾丸を熱した鉄ごてで焼き切っていた。このように宗教は驚くほど多様であり、一見すると支離滅裂だ。
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キリスト教やイスラム教のように、単一の神がすべてを支配し、人間の行動に深く関与する宗教もあれば、ヒンドゥー教のようにたくさんの神がいて、それぞれが人生の異なる局面(出産、幸福、戦争、収穫など)を司る宗教もある。儒教と道教のように神という形ではなく、漠然とした調和の感覚を重んじる宗教も存在する。このように体型は異なっていても、人間より偉大な霊や力を信じ、人間の行動に影響を与える点はすべての宗教に共通している。
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非常に成功したカルトとはときに、その母体となる宗教から離脱して新たな宗教を生み出す。キリスト教はユダヤ教のごく小さなカルトから始まっているし、イスラム教も、キリスト教とユダヤ教、それに現在のサウジアラビアで信仰されていたアラブの伝統宗教が融合して誕生した。またときには、もとの宗教の一部として残りつづけ、新たな教派や分派となるカルトもある。実際プロテスタントは、キリスト教を一新した新教として出発したにもかかわらず、いまだにキリスト教徒を名乗っている。スンニ派とシーア派とのあいだで生じた大分裂は、預言者ムハンマドの死後わずか数年でイスラム教の分断を招いた。シーア派はその後も数世紀にわたり細かく枝分かれして、10を超える分派が出現し、それぞれが信仰における数多くの重要な点で対立している。仏教も大乗仏教、上座部仏教、密教などに分かれている。
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[適応度] ある個体が生きのびてどれだけの子孫を残せるからを示す尺度
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[集団レベル選択、相利共生] 動物が集団で生活するのはみんなが好きだからではなく、適応度に影響を与えるいくつかの問題を解決するという具体的な目的があるからだ。もし個体にも何らかの利益がなければ、集団生活ゆえの損失を個体は容認できないこと。
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神秘志向はトランス状態に入る能力に重きを置くが、宗教の文脈においては3つの特徴を持つ。トランスのような状態に容易に入れる感受性、人智を超えた(もしくは霊的な)世界の存在に対する信仰、隠れた力が味方になるという信念の3つだ。神秘志向はすべての宗教に当てはまるものであり、起源も古代までさかのぼる。
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お返しを期待することなく助けたい気持ちは、外側の円よりも、150人までの円の内側にいる人たちに対してのほうがはるかに強い。さらに150人のなかでも、どの層にいるかで利他行動の度合いは変化する。逆にいえば、私たちは中央の円にいる人たちに対して、必要なときに助けてもらえることを期待しているし、外側の円にいる人たちにはそんなことは期待しない。それを確実にするために、私たちは社会的な努力の多くを中央の円にいる人たちに集中させる。つまり、時間と努力を惜しめば友情はすぐに薄れる。そして相手を助けてあげたい、支えてあげたいという意欲は相手が自分にかける時間で変わってくるということだ。
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[コストリー・シグナリング仮説] 不便や苦痛に耐え、時間と費用をかける覚悟があればあるだけ、その共同体に属したい欲求が強くなるはずで、儀式遂行に犠牲を払う覚悟を持つことで、ほかの構成員に対する自らの献身を公に示せば心理的に共同体を離れるのが難しくなるという考え方。
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人間がより大きな集落で暮らしていくには、その規模の拡大にあわせてストレスや集団内の暴力を減らす方法を見つけていくことが必須だった。例えば、踊りや宴会など、共同体の結束を維持する活動を頻繁に行う。婚礼に関する正式な取り決めを増やす。民主的な社会から、正式な指導者を擁する男性優位の階層社会に切り替える。そしてより明確な儀式と正式な礼拝所、専門職を擁する教義宗教への移行である。
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警察力による上からの秩序強制は、共同体の構成員の問題行動を管理するのに役立つが、各人が共同体への参加意識を持って自重するほうが、秩序維持には間違いなく効果的だ。突き詰めれば、それが宗教の最も望ましい役割だろう。信念と儀式を共有して帰属意識をつくりだすのだ。
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儀式に人身供犠を取れ入れた文化は、階層社会への移行を成し遂げ、その結果共同体の規模を大きくすることができた。人身供犠の出現は階層化より早かった。人身供犠と教義宗教の要となるその儀式が、複雑で大規模な社会への道をひらいたのである。
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教派を問わず、宗教礼拝に出席する頻度と宗教心の強さは、社会地域との関わりだけでなく、人生の満足感、親しい友人の数とも関連している。さらに注目すべきは、宗教礼拝に頻繁に出る人ほど自らの友人や家族、そして所属宗教の信者と強い結びつきを感じていたことだった。また信仰に積極的な人は、そうでない人よりも健康であることも確かめられている。
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宗教心のある人は協調性と誠実性が高い傾向にある。だが多くの人は、生まれてときからその宗教だったとか、その中で育ってきたからというだけの理由で信仰を続けている。価値を疑わないことで得られる帰属意識に充分満足しているのだ。
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女性は社会的な摩擦によるストレスで月経が乱れ、一時的に不妊になることがある。これは哺乳類全体に共通する問題で、とくに霊長類、そしてヒトの社会集団の規模を制限する大きな要因になっている。
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自分には特別な使命があるという信念は、多くの場合激しい精神的動揺と結びついているようだ。(イエスやガウタマ・シッダールタもその通りで)日本でも1838年、農民の妻で読み書きもできなかった中山みきが、何人かの子どもを亡くし家も傾きかけていたときに、月日と呼ばれる神が乗り移る体験をした。その後、中山は多くの信者を集めて天理教という宗教運動を生んだ。1世紀半がたった今日、天理教には1万7000もの教会があり、信者は200万人を数える。
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カルトが軌道に乗るには、指導者のカリスマ性と、救済の鍵は自分が握っているという深い確信が条件となる。カルトや宗教に傾倒している決定的な証拠、それは信仰のために死ねるかどうかだ。
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すべての主要な宗教は規模が大きくなるにつれて(勧誘の結果であっても、子が増えた結果であっても)内部にストレスが生じる。大部分の信者が関心を寄せるのは、自身が支持するカリスマ指導者の見解と「自分たちのいつものやりかた」だけだからである。
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教団を拡大していくには、生まれた子どもを信者にすることが唯一にして最も重要な戦略だろう。なぜなら宗教やカルトのなかで育った子どもは、その精神を自然に吸収し生涯にわたって影響を受け続けるからだ。文化を通じた学習は効果抜群で、宗教への信仰の遺伝率は実に70%前後に達する。これは遺伝で継承されるほとんどの生物学的な形質に比べてかなり高い(例えば身長の遺伝率は20%)つまり、宗教などの文化的な形質が次世代にそのまま受け継がれる確率は、生物学的な形質よりもはるかに高いのだ。
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信者集団も、教会も、宗教も、すべて人間の組織である以上ほかの社会集団と同じく社会脳による人数面と心理面の制約を受ける。集団の中には特異な信念が芽生えてきて存在が浮いたり、話が合わなくなったりする個人は必ず出てくる。共同体がおよそ150人までなら、顔と顔を突き合わせて話しあえばよく知っている者どうしの義理も働いて妥協点を見いだせる可能性がある。けれでも集団の規模がそれ以上いなるとこの仕組みが働かない。顔を合わせる機会が減って文化の一貫性を保てなくなるのだ。意見の衝突とそこから生まれるストレスは組織構造を崩していく。それを防ぐには、上の立場から規律を強制するしかないのだ。
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宗教の進化を支えているのは神秘志向である。神秘志向は、現生人類のみが持つと思われる高次元のメンタライジング能力と、別次元の意識のなかで強烈な没入感をともなうトランス状態を生み出すエンドルフィンの働きによって生まれる。
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人智を超えた世界に関わるこの能力は、2つの点で重要だった。ひとつは、社会的結束の神経生物学的な基盤をもたらして参加意識を生み出せること。もうひとつは、結束を強める行為の中でも宗教は規模が格段に大きいということ。笑い、会話、踊り、語り、宴はどれも規模が限られるし小さな共同体でしか効果がない。歌唱はいくらかましだが、それでも宗教が対応できる規模とは比較にならない。
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信者集団には最適な大きさがあり、それは2つの相反する要求の兼ね合いで決まる。多少の人の入れ替わりには動じないほど集団は大きい必要があるし、あまりに大きくても帰属意識が薄れてしまう。最適な大きさは150人前後と具体的に決まっていて、これを少しでも超えてしまうと無情にも結束は失われてゆく。そして300人を超えてくると、次の構造に移行しないと組織を維持も拡大もできないが、その代償として帰属意識が徐々に減退することは避けられない。
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宗教は小さな共同体を取り込む形で進化してきたので「私たち VS あの人たち」というヒトの自然な心理を巧みに利用する。これがとりわけ有効なのは強烈な帰属意識を生みだすからだ。構成員は共同体に対しての誠実さを持ち、互いに協力しあって物事を首尾よく進めることができる。だが人口規模が急速に拡大してくると、集団心理の効果により宗教紛争へと発展した。大規模な宗教の歴史が、例外なく激しい暴力に彩られているのはそのためだ。どれだけ個人レベルで恩恵をもたらそうと、宗教は異教の信者に対する集団的暴力性を呼びおこし、その力はほかの世俗の思想をはるかに凌ぐ。この2つの問題を同時に解決することが、グローバル化が進む世界で宗教がつねに抱えてきて、今も直面する課題である。
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以上引用です
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最初の「日本の読者へ」からもう釘付けに。知的好奇心をかき立てられて読みふけってしまった。
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めちゃくちゃ面白かった!
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特に第5章の「信じるものは救われる」と「なぜ宗教は分裂するのか」は最高だった。
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ダンバー数やDMN(デフォルトモードネットワーク)など、前著と重複している部分もあるので、知っている人は飛ばしてもいいかもしれない。
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誰もがふと「人はどうしてこれほどまでに宗教を信じようとするのか、そしてなぜ宗教がこんなにたくさんあるんだろう」なんてことを考えたことがあるんじゃないだろうか。
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さらに言えば「我こそは真の宗教だと寛容さを謳う割には、他宗教と憎み、争い、殺し合い、挙句その真の宗教とやらを捨て別の宗教を立ち上げるのはなぜだろう」とまで自分は思ってしまう。
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そんな疑問に、専門である進化生物学の観点から、宗教とはなんぞやを詳らかにしてくれる。
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現代のわたしたちが認識している宗教が生まれたのは約20万年前らしい。
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マルクスではないけれど、宗教とは狩猟採集社会から定住社会へ、そして小さな共同体、国家へと規模が大きくなる過程で社会を安定させるアヘンなんだろう。
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それには人間の進歩が伴わなければならない。そのひとつが、相手の心を高度に読み解く力(メンタライジング)の獲得、そして生理的なエンドルフィンによる高揚だ。
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宗教は行うものであり、信じるものでもあると。
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個人的なことを言わせてもらうと、自分は無神論者で本当に神がいるとは思っていない。ましてや占いやスピリチュアルの類も信じていない。
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それでも神社に行けばお賽銭を入れて祈るし、能登半島で地震が起きれば無意識に祈っている。
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祈るという行為が、神を信じることとイコールなのかは分からないけれど、きっと人間に備わっている本能みたいなものじゃないだろうか。
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だってこの自分が必死に祈ってるくらいだから。
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長い長い歴史の中で、宗教が人を幸せにしてきた数と不幸にしてきた数はどちらが多いんだろうね。読後はそんなことを考えてしまった。どうか前者が上回ることを願ってやまない。
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みなさんの幸せをお祈り申し上げます。
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読むしかない!
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