「君が手にするはずだった黄金について」を読み終わった。
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著者の小川哲さんは直木賞作家だそうだ(知らなかった)本屋をぶらついているときに偶然見つけて購入。この人の本は初めてだった。
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読書とは本質的に、とても孤独な作業だ。映画や演劇みたいに、誰かと同時に楽しむことができない。最初から最後まで、たった一人で経験する。それに加えて、本は読者にかなりの能動性を要求する。目の前で何か行われていることを受けとればいい、というわけではない。読者は自分の意志で本に向き合い、自分の力で言葉を手に入れなければならない。そんな拷問を、場合によっては数時間、十数時間も要求する。僕はときどき本というものが、わがままな子供や、面倒くさい恋人のように見える。「僕だけを見て、私だけにずっと構って」本がそう喚いているように感じられるのだ。実に傲慢だと思う。しかしその傲慢さのおかげで、僕たちは一冊の本と深い部分で接続することができる。二人きりの時間をたっぷり過ごしたからこそ可能になる繋がりだ。
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小説には、本物の世界では味わうことのできない奇跡が存在する。いつもその奇跡に出会うとは言えないが、特別な本に出合ったときは、言語で説明できない類の感動を覚える。百パーセント言語によって構成された本という物体が、どうして言語を超えることがあるのだろうか --- 少なくとも言語を超えたような錯覚を得ることができるのはどうしてだろうか。その秘密はきっと、読書という行為の孤独さの中にある。
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人生のほとんどは記憶にすら残らない「平凡な一日」で構成されている。「平凡な一日」とは入学式や卒業式、初めて好きな人と手を繋いだ日や、親や教師にこっぴどく怒られた日のことではないし、ましてや地震があった日でもない。少し経てばその日に何をしていたのかすっかり忘れてしまうような、そういう一日のことだ。
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これは僕の主義というか、他人の人生にあまり口出しをしたくないという気持ちを常に持っている。それは、きっと自分の人生は他人に口出しされたくないという気持ちの裏返しなのだけれど、たぶんその性格のせいでこれまで他人に相談されることがほとんど無かったのだろう。何を聞かれても「好きにすればいいんじゃない」としか言えないのだ。
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「この世のあらゆる物事に対して、みんなとか全部とかは成立しない。人それぞれだと思うし、そういう表現は僕も大嫌いだ。でも、占い師だけは例外なんだ。「中には」なんて表現は生ぬるいし、やつらに隙を見せることになる。全員詐欺師だよ。一人残らずみんなインチキだ」
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「厳しく指導されて成長したい」と思っている人は、良かれと思って他人に厳しく指導をしてしまう。「性的指向を聞かれても嫌ではない」と思っている人は、他人に対して不用意に性的指向を聞いてしまうことがある。どちらも道徳の原理に従った結果で、相手に嫌な思いをさせるつもりがないだけ都合が悪い。こういうことはよく起こる。道徳規則として間違っているわけではないので、傷ついたり嫌な思いをした人が不平を言っても、当人にはなかなか伝わらなかったりもする。思うに、二十一世紀の黄金律と銀色律には以下のような注釈が必要だろう。(*ただし、してほしいことや、してほしくないことには個人によって差があります)
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昔の友人と久しぶりに話すと、独特の緊張感のようなものがある。懐かしさや気恥ずかしさ、微妙な距離感。頭の中が遠い昔にタイムスリップしたようで周囲の景色も違って見えてくる。
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俺は個人的に、人間が理解可能なあらゆるチャート理論はインチキだと思っているけど、実際にはかなりの人が何かしらのチャート理論を信じている。で、チャート理論を信じている人がある程度いると、売りや買いのタイミングが揃ってしまい実際の相場もその通りに動いてしまうんだ。
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片桐が他人のブログを剽窃したのも事実だし、そうやって儲けた金で母子家庭の子供を助けたのも事実なのだ。どちらも片桐という人間の持つ特性だった。実力も無いくせに目標だけは高い。うんざりするほどお節介で、それが世界共通の道徳だと信じている。
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きっと片桐は、金が欲しかったのではなかった。才能という黄金を掴みたかったのだ。自分に才能がないことを自覚しつつ、たとえ偽物でもいいから自分の才能を誰かに認めてもらいたかったのだ。だからこそ、初めから勝ち目のない詐欺に手を出したのだ。
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ババのことを嫌っている人は、人生のかなりの部分をババの粗探しや失敗探しに費やしている。どうやらババには、それだけの「嫌う」価値があるらしい。ネット上には「ババ学」という架空の学問があり、その学問はババの行動を「一定の規則で読み解いている」と主張している。「ババ学」にどれだけの正当性があるかどうかは、ババの作品をほとんど読んだことがない僕には判断できなかったが、明らかにこじつけだったり、悪意によって事実を歪曲していそうな記述もあったりして読むだけで心が痛んだ --- 痛むというのに、僕は読むのをやめられなかった。とにかく、それらの凝縮された悪意に、こちらの心を掴む求心力があったのは事実だ。
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以上引用です
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どこまでフィクションなんだろう?
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読んでいるうちに、著者のエッセイというか自伝のようにも思えてきた。
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帯には「自身を主人公にして描くのは承認欲求のなれの果て」と書かれているので、半分ほどはファンタジーなのかな。
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努力家で、モンロー主義、かつ非科学的なことを好まない。
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そんな人物象が垣間見える主人公と、お節介で、日和見主義で、本能的な全く正反対の人物との考え方の違いや共通点が大変興味深かった。
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自分はどちらかいうと前者のタイプなので(努力家ではないけれど)「うんうん」と共感する箇所も多かった。
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この本「事実はなぜ人の意見を変えられないのか」から
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自分とは外見も話し方も違う人でも、その脳はほとんど同じように組織されていて、同じ刺激に対して同じ反応を返すことは忘れられがちである。
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どんな人間も、ほとんど違いはないんだよね。
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つまるところ、性格は違えど、同じ「人間くささ」は隠しきれない。
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そういうところも伝えたかったのかな。
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著者が自身を主人公に重ねて小説にすることが承認欲求だとは思わない。寧ろ全く逆の性格のように感じた。
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本当に実力があれば、余計なことをする必要はないだろう。
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本業に影響が出るので、逆に露出を控えようとするくらいじゃないだろうか。直木賞作家にもなると、怪しい輩もすり寄ってくるわけで。
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これは、本当に承認を受けた者、著者のような人にしか分からない「有名税」の一つかもしれないね。
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特に「三月十日」と「偽物」が好きだった。
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大変読み応えがありました、面白かった!
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